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春日ハルとゆかいな仲間たち

『絶対に笑ってはいけない刑事裁判24時』~裁判傍聴記~

皆さんは、刑事裁判の傍聴に行ったことがありますか?

私は、北尾トロさんの著作『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』という本を読んで以来、暇つぶしを兼ねて近所の裁判所に行っては裁判の傍聴をしていました。

裁判所は、今はボディチェックとかはあるものの(福岡だけ?)誰でも自由に立ち入ることが出来ますし、刑事裁判を傍聴すると色々な人の人生を垣間見ることが出来るので、時間を持て余している人にはオススメです(笑)

何度か裁判の傍聴に行ったのですが、殆どの裁判はドラマ『リーガルハイ』やゲーム『逆転裁判』のような劇的な展開があるわけでもなく、淡々と進んでいきました。

しかし、何度も傍聴に行っていると”当たり”を引くこともあります(事件の内容がではなく裁判の進行が、という意味の”当たり”です)。

今回は”当たり”を引いた体験、そして裁判制度について思うこと等について書いていきます。

初めての裁判員裁判

何度か見に行った中でも最も印象に残っているのは、強姦致傷事件の裁判員裁判になります。

裁判員裁判は、平成21年5月の制度が始まってすぐの時に傍聴しに行こうとしたことがあったのですが、この時は制度開始後の間もない時期だったので応募者が殺到していて、抽選に外れて傍聴することが出来なかったんです。

それから数年後、自分が住んでいる地域で起こった事件が裁判員裁判になるということで再び福岡地方裁判所に足を運んだのですが、その時には抽選どころか傍聴席はガラガラで、傍聴マニアと思しき人がちらほらいるのみでした。

余談ですが、隣の佐賀県に住んでいる友達の所にはもう3回くらい裁判員の名簿記載通知が届いたという話を聞いたのですが、私の所にはまだ一回も来たことがありません。

人口の違いのせいなのか分かりませんが、一度くらいは裁判員をやってみたい…

事件の概要

私が見に行った裁判は強姦致傷事件の裁判で、この被告は3件の強姦致傷事件で起訴されていました。

いずれの事件もアルバイトやサークル帰りの女子大生を狙ったもので、2か月の間に3件を敢行し、遺留されたDNAから犯人が特定されたそうです。

ちなみに、強姦致傷罪(現在は強制性交等致傷罪)は当時の刑法第181条第2項で「無期又は五年以上の懲役に処する。」と規定されていました。

相当重い罪です。

被告人の主張

検察官からの尋問では、被告人の40代の男性は「俺はやっていない!」というような劇的な主張をするでもなく、物静かに「はい。」「その通りです。」と犯行を認めていました。

まぁ客観証拠がありますし、実際にやっているのであれば下手に否認しても裁判官の心証が悪くなるだけなので、余計なことを言わないのは仕方がないのかなと思います。

弁護人の主張

裁判では口数が少なくなりがちな被告人に代わって、専門的立場から意見を述べるのが弁護人です。

弁護人は、被告人に対する質問という形を取りながら、「被告人の行為はそこまで酷いものじゃないんだよ。」「被告人はちゃんと反省してるんですよ。」というのを裁判官にアピールするわけです。

裁判のマストアイテム”反省文”

反省しているアピールに最もよく使われるのが”反省文”。

自発的に書いたにしろ、弁護人の指示で書かされたにしろ、カタチさえあれば反省しているとみなしてくれる”反省文”は、殆どの裁判で出てきます。

被害者が受け取ってくれれば良し(わざわざ裁判に提出する用のコピーを取ってある)、受け取ってくれなかったとしても”反省している素振り”を見せられるわけで、裁判におけるマストアイテムと言えます。

私が傍聴した中で、一度だけ”反省文”が出てこない裁判があったのですが、その時は裁判官が「あなた(被告人)は反省文を書いていないのですか。」とか言う始末。

裁判官は一体何を求めているのか。

私が思うに、”反省文”を見て裁判官が何を感じているのかというと恐らく何も感じていなくて、”反省文”を減刑する材料”としてしか見ていないんじゃないでしょうか。

たまに弁護人が反省文を朗読することがあるのですが、本当に反省して”反省文”を書いている被告人は殆どいなくて、その多くは「弁護人に言われて書かされたんだろうな。」と思えるものばかり。

そもそも、被害者の立場からすれば、被告人から”反省文”なんて送ってこられたところで見たくもないと思うんです。

もし私が被害者の立場になれば、ビリビリに破って捨ててやりたいところですが、そうすると「被害者が被告人の”反省文”を受け取った。」という事実が残ってしまうことで被告人の情状を軽くしてしまうので、被告人に厳重処罰を望むのであれば”受け取らない”のが正解だと思います。

ちなみに、この事件の被告人の”反省文”も受取りを拒否されていました。

自分を犯そうとした男からの手紙なんて触れたくもないでしょうし、当然の結果です。

人の心を理解できない弁護人?

事実や捜査手続きの瑕疵では争えないと判断した弁護人は、裁判官の情に訴えるような作戦に出ることが多いです。

幼少期の環境だとか、犯行時の被告人の生活状況とか。

この事件の弁護人の主張は次のとおり。

本件は強姦致傷罪で起訴されているが、罪名だけで考えないでもらいたい。
どういうことかというと、強姦致傷罪というのは「強姦の機会に相手を負傷させた場合」に問われる罪です。

強姦の機会に相手を負傷させれば、基本犯罪(強姦)が既遂だろうと未遂だろうと強姦致傷罪が成立します。

で、この被告人が起訴された3件の強姦致傷罪では、その全てで強姦行為が未遂だったのです。

弁護人は続けます。

被告人は3件の強姦致傷罪で起訴されているが、強姦自体は1件も成功していない。
一回も強姦が成功していないのに、強姦が成功したのと同じように量刑を考えるのでは被告人が可哀想ではないか。

いや、この弁護人の話を聞いて「ありゃ~、この人は3件も事件を起こしているのに1回もヤレなかったのか~。可哀想だな~。」なんてこと、普通の感覚なら思わないでしょ。

可哀想なのは倍近く年の離れた被告人から力づくで襲われた被害者であって、被告人がヤレようがヤレまいが知ったことではないんだよ!」と言いたくもなるのですが、司法試験を合格して弁護士になった弁護人が主張することですから、同じく司法試験を合格した裁判官には何か伝わるものがあるのかもしれません。

少なくとも傍聴人である私には「ふざけるな!」という感情しか湧きませんでしたし、裁判官に同席している裁判員の皆さんも同じように思ったのではないでしょうか。

煮え切らない被告人の態度

弁護人の主張の後で、裁判官が「何か言いたいことはありますか?」と被告人に対して発言を促します。

もし私が被告人の立場なら、こう言いますよ。

「弁護人がゴチャゴチャ言ってましたが、自分がしたことで被害者を傷付けたことは揺るぎない事実ですので、どんな罰でも甘んじて受けます。」と。

そりゃあね、被告人と弁護人が何の打ち合わせもなく裁判に臨むことなんてありえないし、弁護方針だって被告人も納得したうえで決めたのだと思いますよ。

でも「強姦致傷っつっても1回もヤレてないんだから、そこんトコちゃんと考えといてや。」っていうのと「悪いのは全て私ですからどんな罰でも受けます。」っていうのでは、明らかに後者の方が反省してるように見えるでしょ?

心ない”反省文”を書けるなら、そのくらいのこと言えるでしょ?

裁判官の「何か言いたいことはありますか?」という問いかけに対して、被告人が口を開きます。

「言いたいことは特にありません。」

ダメだこりゃ。

情状証人に対する尋問

裁判では、よく情状証人というのが出てきます。

通常の証人とは違い、事件と直接関係のある証言をする人ではなく、被告人のひととなり等を裁判官の情に訴えかける人です。

親だったり、配偶者だったり、場合によっては勤務先の社長だったり… 「この人は普段は〇〇でした!」とか「今後は私が責任をもって面倒を見ます!」とか言ったりする、これもある意味”お約束”です。

この事件の時は、被告人の実父が情状証人として出廷しました。

裁判官に促され、傍聴席から移動して証言台に立つ被告人の実父。

70歳を過ぎたヨボヨボの身体で、息子のしでかしたことのために刑事裁判の証言台に立つなんて、心身共に相当ツラいはずです。

尋問に先立ち、証人に対して被告人との関係を弁護人が問いかけます。

弁護人:「あなたは被告人とどのような関係ですか?」

被告人の実父:「………。」

被告人の実父は微動だにしません。

そこで、弁護人がもう一度問いかけます。

弁護人:「あなたは被告人とどのような関係ですか?」

被告人の実父:「あ? 何て?」

被告人の実父:「わしゃ耳が悪いけん。」

弁護人が少し声のトーンを上げると、今度は問いかけが通じたのか会話が進んでいきます。

しかし、やはり高齢のせいなのか、会話が何度も途切れ、その度に被告人の実父は耳に手を添えて弁護人の問いかけを聞き直します。

そして、”事件”は起こります。

弁護人:「先ほどの息子さんの言葉を聞いて、どう思いましたか?」

おそらく弁護人の想定では「ちゃんと反省しているように思えました。今後は私もちゃんと息子を監督して~…」と返してくれるはずだったのでしょう。

しかし、被告人の実父は予想を上回る回答をします。

被告人の実父:「何て?」

そう言って、自分の耳に手を添えて弁護人の問いかけに耳を傾ける被告人の実父。

弁護人:「ですから、先ほどの息子さんの反省の弁を聞いて、お父さんはどのように思われましたか?」

被告人の実父:「わしゃ耳が悪いけん、聞こえとらん!」

 

 

 

耳が悪いけん、聞こえとらん!

 

 

 

 

何というパワーワード

息子の今後の人生がかかった裁判で、しかも息子の罪を軽くするために弁護人から情状証人として呼ばれているはずの被告人の実父が「耳が悪いけん、聞こえとらん!」と、これまでの裁判の流れをなきものにするような発言。

ちゃんと聞こえているはずの自分の耳を疑いたくなる一言。

その後も弁護人と被告人の実父による証人尋問が続けられたのですが、被告人の実父は「あ?」とか「聞こえん!」とか言うので、話が遅々として進みません。

裁判官は「弁護人はもう少し大きな声で。」とか言い出す始末で、被告人の実父は会話のたびに耳に手を添えていたのですが、それでもなかなか聞こえないものだから、とうとう被告人の実父は会話がない時でもずっと耳に手を添えたままのポーズになってしまいました。

あれです、”号泣議員”N村さんのポーズ。

この裁判の当時はまだ”号泣議員”は生まれていませんでしたが、この弁護人と被告人の実父の一連のやり取りで、私は笑いをこらえるのに必死でした。

もし笑い声をあげていたら退廷を命じられていたかもしれません。

というか、よく裁判官や裁判員は笑わないでいられたな、あれ。

傍聴マニアのオジサンたち

裁判も佳境に入り、検察官による求刑が行われたところで裁判は閉廷。

判決は翌日になります。

検察官の求刑は懲役10年。

裁判が終わると、数少ない傍聴人も傍聴席から立ち上がり部屋の外に出ていきます。

数少ない傍聴人のうち、”傍聴マニア”のオジサンと思われる3人組が今回の裁判について話しており、そのオジサンたちに言わせると「だいたいの相場は求刑の8掛けだから、こりゃ判決は懲役8年だな。」とのこと。

へぇ~、とオジサンたちの言葉に頷きながら、私も裁判所を後にしました。

というか、何度か裁判の傍聴に行きましたが、傍聴マニアのオジサンを見かけたのはこの時は初めてでした。

北尾トロさんの『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』にも傍聴マニアの存在は書かれていましたが、それまで一度も見たことがなかったので都市伝説のようなものと思っていました(笑)

 

そして判決へ…

衝撃(笑劇?)の証人尋問から一夜明け、いよいよ判決です。

傍聴席の顔ぶれは変わらず、もちろん傍聴マニアのオジサンたちもいます。

裁判が始まり、裁判長が被告人に判決を言い渡します。

「主文、被告人を懲役10年に処する。」

あれ? 求刑の8掛けだから今回は懲役8年だという話はどこ行った?

まぁよくよく考えると、被告人が反省している様子も全く感じられなかったし、弁護士の主張も変だったし、情状証人として出てきた被告人の実父も笑いを提供しただけだったし、刑を減軽する理由が全くないんですよね。

だから、通常どおりの8掛けにならず、求刑どおりの懲役10年は妥当なのかな? とも思いました。

でも、ここでふと一つの考えが。

それは「あの弁護人は被告人を嵌めたのでは?」ということ。

だって、弁護士だって人間ですよ。

いくら仕事とはいえ、反省の色も見えない強姦魔の弁護を何で自分がしないといけないんだって思ってもおかしくはないと思うんです。

でも、弁護人として選任を受けた以上は弁護活動をしなければならない。

だから、あくまで合法的に、被告人の刑が重くなるように仕向けた、と。

だって、裁判官の情に訴える手段として「強姦致傷といっても、被告人は最後までヤッてないんだから!」なんて主張、普通の感覚を持った弁護士ならしないと思うんです。

だから、弁護人はこんなバカげた主張をして被告人の反省の弁を引き出そうとした。

しかし、結局は被告人から真に反省の弁が述べられることはなく、結果として被告人の刑は求刑の8掛けにはならなかった。

…というのは、考えすぎですね。

日本の刑事裁判を見て思ったこと

ここからは、これまで裁判を傍聴した経験から日本の刑事裁判について思うことを書きます。

意外と淡々と進む

やっぱりドラマやゲームなんかと違って、非常に事務的で淡々と進みます。

あまりにも淡々と形式的に進むので、最初の方は何がどうなっているか殆ど理解できませんでした。

裁判官、検察官、弁護士にとっては人生で何度も経験する裁判のうちの一つでしかないので、滞りなく進んでいけばそれでいいんでしょうけど、滅多に刑事裁判を経験することのない被告人にとっては、何が起こっているか分からないまま淡々と事務的に進んでいく裁判というのは怖いだろうなぁと思います。

事件の「その後」を知ることが出来る

北尾トロさんの本を読んだ後、初めて裁判の傍聴に行ったときは、適当に裁判所の掲示板を見て選んだ事件の傍聴だったので、何が何だか分からないまま終わってしまいました。

それから何度か裁判の傍聴に行くうちに、ニュースで聞いたことのある事件の裁判に巡り合うこともありました。

よほど大きな事件でもない限り、事件が発生して犯人が逮捕されてしまえば、「その後」のことがニュースになることはありません。

しかし、裁判を傍聴することで、犯人の動機や、どのような刑が言い渡されたかといった「その後」を知ることができます。

「だから何だ」と言われればそれまでなのですが、犯罪者の生の声を聴ける機会はなかなかないので、犯罪心理学とかに関心のある私にとっては興味深いものであります。

裁判とは”パズル”のようなもの、しかし…

これは完全な私見なのですが、刑事裁判って基本的に予定調和なパズルみたいなものだと思います。

たとえば殺人罪(刑法第199条)は「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。」と規定されていて、この条文裁判官の自由な心証に基づいて判断すれば死刑を選択することだって可能だと思うんです。

しかし、実際には永山基準のような判例があって、そういう判例から大きく逸脱する判決は出すことができません。

永山基準とは

連続4人射殺事件の被告人だった永山則夫氏の裁判で示された死刑判決の基準であり、次の9点を考慮したうえで、刑事責任が重大であり今後の犯罪予防の観点からやむを得ない場合に死刑の選択も許されるとしたもの。
1)犯罪の性質、2)動機や計画性など、3)犯行の態様、4)結果の重大さ(特に被害者の数)、5)遺族の被害感情、6)社会的影響、7)犯人の年齢、8)前科、9)犯行後の情状

言い方は悪いのですが、犯した罪と、裁判で言い渡される刑にはあらかじめ決められている”相場”みたいなものがあると思います(それゆえ『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』という本も生まれたと思います)。

そのあらかじめ決められた”相場”よりも重い刑を課すために裁判官に働きかけるのが検察官、”相場”よりも刑を軽いものにするために裁判官に働きかけるのが弁護士(弁護人)。

検察官と弁護士のシーソーゲームによって出されたピースを組み合わせて、過去の判例に沿う形で”パズル”を組み立てていくのが裁判官。

この一連の流れの殆どが予定調和なので、傍聴していて面白くない裁判というのは本当に眠気が襲ってくるほど面白くありません。

しかし、検察官ならば「めいっぱい刑を重くしてやろう。」というふうに、弁護士ならば「刑を軽くするのではなくて、無罪を勝ち取ってやる。」というふうに、予定調和を崩してやろうというエネルギーを持ったプレーヤーが現れると、その裁判は見ごたえが出てきます。

あとは、今回紹介したような、コントのような裁判。

笑ってはいけない厳かな雰囲気(緊張)の中で、とんでもない緩和を持ってこられると笑いが生まれるという、まさにお笑いのお手本のような裁判もごく稀にあります。

まとめ

これまでの日本では、殆どの人が”裁判”とは無縁の世界で生きていたと思うのですが(厳密にいうと完全に無縁というのはあり得ないのですが)、裁判員裁判制度が始まったことにより、誰もが裁判員になり得るようになり、”裁判”とは無縁ではいられなくなりました。

2019年5月21日で、裁判員裁判制度が始まってから10年になります。

刑法や刑事訴訟法などを学ぶ機会がないままでいる人も多くいると思いますが、自分や自分の大事な人がいつ刑事事件に巻き込まれるとも限りませんし、これを読んでいるあなたが近い将来に裁判員として選ばれるかもしれません。

これをきっかけに、少しでも多くの人が刑事司法・刑事裁判というものに興味を持っていただければと、駆け出し傍聴マニアは思います。

おわり。